自分も相手も「自分らしく」
小学生の頃、美内すずえさんの『ガラスの仮面』に夢中になっていた。
役に憑依してゾーンに入ってしまう天才少女、北島マヤが、
『奇跡の人』のオーディションで見せた演技が印象に残っている。
「ヘレンらしく遊びなさい」と指示に対して、
マヤがじっと座ったまま、爪をカチカチと鳴らしていた。
「ヘレンらしくない」と激怒した審査員が、
台本を丸めてマヤへ振りかざそうとしたとき、
マヤがその台本を取り上げて、楽しそうに破いて遊びだした。
ようやく審査員全員が、「ヘレンらしい遊び」だったと気付いた。
西島怜那さんの「毎日がはとバスツアー」という例えにハッとした。
先日のネット記事『「聞こえないのにできる」に苦悩 IQ140のろう者は才能を隠した』でも、「障害をもつ人らしくない」ということでいじめにもあったと書かれている。
無意識のうちに、「障害をもつ人らしさ」という先入観を誰もが持ち合わせていることがわかる。
期待していた「~らしさ」を裏切られると、人は不快になってしまう。
それは、「障害をもつ人」に対してだけでなく、「障害をもたない人」に対しても、「~らしさ」を強要され、窮屈に感じてしまうことがある。
高2の次男の修学旅行のしおりに、
「文理学科の生徒らしいふるまい」と書かれていた。
おそらく、日常的に「~らしさ」を強要されているのだろう。
次男は、学校を休んだり、遅刻したり…と、ちょこちょこガス抜きをしている。
母親の私は、内心「そわそわ」しつつも、それも「次男らしさ」として受け入れている。
昨今、「自分らしく」生きる時代と言われている。
私も、試行錯誤しながら、少しずつ「自分らしく」生きるようになってきた。
相手に対しても「自分らしく」生きることを受け入れることも大切である。
「障害をもつ人」、「障害をもたない人」とかは関係なく、相手に対する間違った価値観を修正していこう。
それが、生きる上で大切な学びであり、豊かな人生につながる。
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