先日、次男の高校で、元サッカー日本代表、95年Jリーグ得点王、福田正博さんの講演会がありました。
めっちゃいい話だったので共有したいと思います。
私はPTA広報として出席してたので、2列目のど真ん中の特等席✨ラッキーでした。
最後に質問もしちゃいました(笑)
福田正博さんの紹介 ・1995年 32ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王に輝く 国際Aマッチでブラジル相手の日本人初ゴール ・2002年 現役引退 ・2003年 日本サッカー協会 アンバサダー就任 ・2007年 JFA公認S級ライセンスを取得 ・2008年 浦和へコーチとして復帰し、2010年に浦和を退団 ・2014年 埼玉スタジアム2002 サッカースクール校長 ・現在、多数メディアで解説、執筆等活躍されておられます。
三浦知良選手に嫉妬していた現役時代
今も現役で活躍している三浦知良選手と福田さんは、同い年で、ポジションも同じFWです。
福田さんは現役時代、三浦知良選手とほとんど話したことはありません。
なぜなら、福田さんが三浦知良選手に嫉妬をしていたからです。
福田さんが日本代表に選ばれて、国際試合で福田さんがどんなに活躍しても、スポーツ紙の一面は三浦知良選手です。
実は、サッカー選手は承認欲求の塊です。小さいときから、上手いと褒められてきて、自分が活躍しているのに、脚光を浴びないのはとても辛いことです。
怒りのエネルギー、負のエネルギーがどんどんたまっていきました。
福田さんは、「たとえ、負のエネルギーでも、エネルギーはとても大切。負のエネルギーをいかにして前向きのエネルギー変えられるか。前向きに変えられる選手が日本代表で活躍できる」とお話されていました。
大人、指導者が、負のエネルギーを前向きのエネルギー、プラスのエネルギーへ導くことが重要になり、福田さんもプラスのエネルギーに変えることができました。
サッカーのプレー以外興味なし
現役引退後、福田さんは三浦知良選手にインタビューする機会が何度もありました。
三浦知良選手は、生涯現役を宣言しています。
「サッカーを始めたときよりも、サッカーが好き。サッカーのプレー以外興味ない。」
56歳になった今でも、若い選手の技術を吸収しようという意欲が旺盛です。
海外では成功の条件として、「情熱、野心」が必要と言われています。
福田さんもサッカーに対する情熱を失って現役引退を決めました。
好きなことをやり続けて、「情熱、野心」を持ち続けている三浦知良選手のスゴさの理解が深まりました。
逆境に強い日本代表森保監督
日本代表森保一監督の現役時代の面白いエピソードのお話がありました。
森保一監督は学生時代は目立つ存在でなく、這い上がってプロになった人です。
日本代表に選ばれても、あまりにも地味過ぎて、監督に名前を憶えてもらえませんでした。
その当時の日本代表監督が、当日のスタメン選手をホワイトボードに書きながら、発表していきましたが、森保一監督の名前を思い出すことが出来ずにずっとそこで立ち止まっていました。コーチが見かねて「モリヤスですよ」と教えたら、監督は、ホワイトボードに「森安」と漢字も間違えて書きました。
それでも不貞腐れることなく、森保一監督は、「名前を憶えてもらえるように活躍するよ」と話して、夜の試合で大活躍をしました。森保一監督は、選手時代から人格者だったようです。
サンフレッチェ監督時代も、主力選手が抜ける中でも優勝を成し遂げました。
日本代表監督に任されても、「この人だれ?」という存在で、期待されていない中でワールドカップで決勝トーナメント進出を果たしました。
森保一監督は、逆境にものすごく強いのです。
今ではご存じの通り、森保一監督は高い評価をされています。
福田さんは、「森保一監督の人生にとって、高い評価からスタートことでは初めてのことで、これからが森保一監督の真骨頂が試される」と話されていました。
日本代表試合にますます目を離せなくなりました。
影響を受けた2人の外国人監督
福田さんは、選手時代に2人の外国人監督から強い影響を受けて大活躍をしました。
2人の監督に共通することは、日本人特有の固定観念を手放して日本人の良さを引き出せたことでした。
オフト監督(1992-1993日本代表監督)
1人目は、オフト監督で、初めての外国人の日本代表監督で、オランダ人です。
7年間勝てなかった韓国に2勝1敗の好成績を残しました。
それまでの日本人監督は、フィジカルの強い韓国と対抗するために、走ってばっかりでフィジカルトレーニングで強くしようとしていました。
オフト監督は、日本人の良さを見出して、韓国の得意なことで勝負するのでなく、日本代表選手たちに「得意なことをやりなさい」と自信を与えました。
日本代表は、韓国代表と同じくらい走っていた戦略から、ボールキープを長くする戦略に変えたところ、70分でバテていたのに余裕が生まれ、逆に韓国代表がバテて足がつる選手が続出しました。
それから、日本代表選手たちは、戦う前から相手をリスペクトし過ぎていることにも言及しました。
自分たちのいいところに目を向けること、自分の得意なことで小さな成功体験を積み重ねていくとで、自信がつきます。
オジェック監督(1995年-1996年浦和レッズ 監督)
2人目は、オジェック監督で、浦和レッズ初の外国人です。ドイツ人です。
オジェック監督が就任後すぐに、福田さんは呼び出されました。
「他の選手を信じていない。他の選手に任せて、自分のFWの仕事に集中しなさい」と言われました。
それまでの福田さんは、キャプテンとして、自分とは違うポジションまで走っていき、サポートをしていました。
オジェック監督の目には、他の選手を信じていないように見えたようです。
ヨーロッパの監督は選手たちとのコミュニケーションを大切にします。
浦和で日本代表の試合を見たオジェック監督は、代表に呼ばれて調子がいいのに試合に出られない福田さんの心情を察して、ロンドンへ遠征中に福田さんに手書きの手紙を出しました。
君が日本代表として試合に出らなくても、マスコミが三浦知良選手ばかり注目しても、君は浦和レッズの大切なキャプテンだ。浦和レッズのチームメイト、サポターにとっての大切なFWなんだ。
日本代表試合に出られなくても、誰かは見てくれているという承認欲求が充たされ、福田さんは1995年のJリーグ得点王に輝きました。
運を味方につける
講演の中で、福田さんが最も伝えたかったのは、運を味方につけることです。
今までの話よりも、運を味方につけることが大切と強く協調していました。
元フランス代表のジダンも選手時代に、どんな監督がいいかという質問に、運が味方する監督がいいと答えています。
試合に勝つには、3つの要素「自分」「相手」「環境」が必要になりますが、唯一、コントロールできるのが「自分」です。
運を味方につける方法は簡単です。「言葉に変えること」、「笑顔でいること」で、運を流れに引き込むことができます。
ポジティブな言葉を使うとよい方向へ物事が向かいます。
笑顔でいると、楽しくなくても楽しくなります。
福田さんは現役時代、怪我をたくさんしてきましたが、「このくらいの小さな怪我ですんだ」と運がいいと思い込むようにしていました。
質疑応答
最後は保護者からの質問にも丁寧に答えていただきました。
シュートするときは何を考えていましたか?
落ち着いてシュートをするためには、準備することが大切です。
落ち着くためには、朝起きてからの行動から始まっています。
サッカーの解説で「落ち着いてシュートが出来ていますね」と言って、一場面だけを切り抜いて話してしまうのですが、規則正しい生活習慣があってこそ、落ち着いてシュートが打てます。
福田さんが、中学高校生時代、保護者にやってもらってよかったことは?
何もしないことです。
福田さんのご両親は、福田さんに対して口出しをしない人でした。
自分で選択したことをご両親に事後報告することが多かったそうです。
自分で選択することで、自分に責任ができます。
この回答を聞いて、めちゃしびれました。
とても勉強されていることがよくわかります。今の日本人が手放したほうがいい固定観念について、福田さんがどう思われますか?
福田さん自身、まだまだ固定観念に縛られているそうです。
今の若い選手から学ぶことはたくさんあります。
久保建英選手は、常に堂々として、日本代表チームのことをよく考えてくれています。
態度はスペイン人です。
勉強のことについても、東大の脳科学の先生から学んでいます。
歳を取ったら、物忘れをしてしまうというのも、実は思い込みで、思い込みを手放すと死ぬ直前まで記憶力を高めることができます。
将棋の羽生善治さんは、20年前の自分に将棋で勝てます。
瀬戸内寂聴さんも、亡くなる直前まで、頭はしっかりしていました。
記憶力のグラフは、歳を取れば取るほど、記憶力が高まる人と、記憶力が低くなる人に分かれます。
記憶力が低下する思い込みを手放すことで記憶力を高めることができます。
これは私の質問です。脳科学の話までありがとうございました。
感想
アディショナルタイムもフル活用して、熱く、しかも丁寧にわかりやすくお話をしてくれました。
福田さんは、選手としても超一流でしたが、講師としても超一流でした。
過去の栄光に執着せずに新しい学びを取り入れている生き方にも刺激をもらいました。
講演会に参加できてよかったです。
ありがとうございました。
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