ブラッシュアップする前のエッセイ

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エッセイを書く前に、簡単な手順を習いました。
まずは、思いつくまま、自由に書いてみる。
その次に、作戦を立てます。
1,何を一番伝えたい?
2,誰に伝える?
3,何を材料にする?

1については、「記憶の想起」を書こうと思ってたら、書いてるうちに「自分らしく」生きることを伝えたいと思いました。

2については、同世代になります。
うれしいことに投稿後すぐ、アラフィフの知人から感想をいただきました。知人も『ガラスの仮面』でマヤが爪を鳴らすシーンが印象に残っていることでした。
やっと子育てから卒業して、「自分らしさ」とは?を考える年齢でもあります。

3については、過去からの引用として『ガラスの仮面』、
小学生の頃には、気付けなかったことでも、今ならわかることがありますよね。
現在からの引用として、本文、ネット記事、次男のことを上げました。

では、ブラッシュアップ前のエッセイと比較して楽しんでみてください(笑)

ブラッシュアップ前

私が小学生の頃、ヘレンケラーの伝記が本棚にあった。
ヘレンケラーとサリバン先生の二人の物語は、
『奇跡の人』として舞台化されている。
クライマックスは、サリバン先生によって、ポンプで汲み上げられた水に
ヘレンの手が触れて、ヘレンが「ウォーター」と叫ぶシーンがある。
ヘレンが幼い頃の記憶を想起して、人間性を取り戻した瞬間である。

実は、『奇跡の人』の舞台は一度も観たことがない。
美内すずえさんの『ガラスの仮面』を通して観たのである。
役に憑依してゾーンに入ってしまう天才少女、北島マヤが、
『奇跡の人』のオーディションで見せた演技が印象に残っている。

「ヘレンらしく遊びなさい」と指示に対して、
マヤがじっと座ったまま、爪をカチカチと鳴らしていた。
「ヘレンらしくない」と判断した審査員が、
台本を丸めてマヤへ振りかざそうとしたとき、
マヤがその台本を取り上げて破いて、楽しそうに遊びだした。
ようやく「ヘレンらしい遊び」だったと気付く。

西島怜那さんの「毎日がはとバスツアー」という例えにハッとした。
先日のネット記事『「聞こえないのにできる」に苦悩 IQ140のろう者は才能を隠した』でも、「障害者らしくない」ということでいじめにもあったと書かれている。
無意識のうちに、「障害をもつ人らしさ」という先入観を誰もが持ち合わせている。

期待していた「~らしさ」を裏切られると、人は不快になってしまう。
それは、「障害をもつ人」に対してだけでなく、
「障害をもたない人」に対しても、「~らしさ」を強要され
窮屈に感じてしまうことがある。

高2の次男の修学旅行のしおりに、
「文理学科の生徒らしいふるまい」と書かれていた。
日常的に「~らしさ」を強要されているのだろう。
次男は、学校を休んだり、遅刻したり…と、ガス抜きをしている。
母親の私は、内心「そわそわ」しても、それも「次男らしさ」として
受け入れている。

昨今、「自分らしく」生きる時代と言われている。
「障害をもつ人」、「障害をもたない人」関係なく、
相手が「自分らしく」生きることを受け入れることも大切である。

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