ふみサロ 2月課題 『父』 

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課題本から受けたインスピレーションを基に800文字のエッセイを執筆して、月一でセミナーと課題作品の合評会をします。

2月の課題図書  新川 帆立 著『先祖探偵

私の父は、昭和9年4月1日、福岡生まれ。
今年の誕生日で90歳になる。
九州男児で、昔はカッとなりやすく怒りぽっい人だった。

福岡で両親、幼い姉と私の4人で暮らしていたとき、オイルショックが襲う。
当時、父は製鉄会社に勤めていたが、福岡工場が閉鎖に決まり、家族で関西へ引っ越すことになった。

福岡は九州では都会だと思い込んでいた母は、社宅で引っ越しの挨拶をしたとき、「田舎から来られたのですね」と言われたことにショック受けていた。
父も会社で田舎者とバカにされていたようだった。
九州から転勤して来た人たちは、次々と会社を辞めて故郷へ戻っていった。

父も母も、「子どもの教育費のため」「家を買うため」と、一生懸命に働いてくれた。
でも、それが裏目に出てしまった。

姉と私は、団塊ジュニア世代で受験が過酷であった。
父と姉は似たもの同士で、よく衝突をしていた。
姉が大学受験でしくじったとき、大爆発が起き、一時的に父が会社の独身寮で生活することになった。

父が家を出て行ったとき、母は泣きながら、父が養子である話をした。
父が生まれてすぐに両親が離婚。
施設に預けられそうになった父を不憫に思った養父母が引き取った。
養父母の家は貧しく、父は中学までしか行けなかった。
本当の両親は、それぞれ再婚して家庭を持ち、父の弟たちは大学も行かせてもらえた。

本来なら、お涙ちょうだいの話である。
高3の姉、高1の私の反応は、
「だから、何なの?」
母の思惑通りにはいかなかった。

33年後、『先祖探偵』のエッセイを書くまで、父が養子だったことをすっかり忘れていた。
父が自分が養子だったことを、父の口から一度も聞いたことがないからだろう。
姉と私も結婚して、それぞれ2人の子どもがいる。
父の苦労に共感を持てる年齢になった。

今では、両親、姉と4人で、月一度の食事会をゆっくり平和に楽しめている。

作品の意図

父の人生を一部を書きました。
養子としての苦労、家族関係もしくじっていたけど、晩年は平和に過ごせていることを伝えたかったです。

あの時代は、どの家でもそうだったかもしれませんが、両親とも、お金を楽しいことに使うことができませんでした。
特に姉は、母が仕事に出かけることに寂しい思いをしていたようです。
どこにでも、父と娘の不仲はあると思いますが、うちはちょっと激しかったです。
でも、最後は丸く収まっています。

【起】昭和9年生まれの父 
【承】オイルショックで転勤
【転】姉の思春期、父が養子だという事実
【結】課題本『先祖探偵』のエッセイを書くまで、父が養子だったことをすっかり忘れていた。

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